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zoom RSS 「もう遅すぎます!」−シュトルム・ウント・ブラームス(ドイツ的なあまりにもドイツ的な)

<<   作成日時 : 2013/06/01 16:06  

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先日、書店を探索していたら
岩波文庫でワーグナーの「ローエングリン」「トリスタン」
といった作品の台本が、復刻発売されていた。
発刊は1955年頃で、
ワーグナーの戯曲作家としての面が
注目されていた時代のものであろう。

ワーグナーは、ゲルマン精神の権化というのが
一般的であるが、同時に
ドイツ文化に潜む魔性の権化という面を併せ持つ
またテキストを一見して立ち上る
ある種の背徳的な要素を
純粋にドイツ的といえるかどうかは疑問である。

国王の庇護を受けて活躍していた頃
彼は、一般市民から凄まじい中傷と非難を蒙ったが
自分は、多くの人人のための音楽を
書いているんだから、少しぐらい
借金を踏み倒したっていいんだ!」

といってはばからない、彼の奔放な行動が、
伝統的なドイツのプロテスタンテイズムから
越脱したものとみなされていたからに他ならない。

それでは、伝統的なドイツ精神とは
どういうものか?


聖ユルゲンにて・後見人カルステン 他一篇 (岩波文庫)
岩波書店
シュトルム


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ドイツの北の果て、
北海を望む小さな港町フーズムに生まれた
19世紀の作家シュトルムは、
叙情あふれる詩や数多くの短編を残したが、
同じく北の町、ハンブルグ出身のブラームスの、
純粋にドイツ的な構築性を持った音楽が、
「生と死」の無常観を基調としているように
彼の残した多くの作品の背後には
常に、様々に形を変えた「死」の影が佇んでいる

特に彼が最初の妻を病で失い、
絶望の極にあったときに書かれた
「聖ユルゲン」は、そういった特色が濃厚である
・・・・・・・・・・・・
愛する婚約者を郷里に残して
一人の青年がピアノ製作の修行に旅立つ

彼は遠く離れた中部ドイツの店に弟子入りをする
そこの主人も奥さんもまだ若いが、良い人で
彼等の子供達も彼になつく

やがて仕事をおぼえ貯金もでき
郷里の婚約者のもとに帰ろうとした矢先
店の主人が急死する。

残された夫人と子供達を
そのままにしてはおけず
店を自分が切り盛りし、
家族の生活を支えている内に
1年、2年と歳月が流れる

やがていつしか青年は
40歳の坂を越え
家族に不可欠な存在となり
大きくなった子供達にせがまれるまま
その未亡人と夫婦になる

しかし、心の片隅に
郷里に残してきた婚約者の影が
消えることはない

何度も何度も、
最後に別れたときの
彼女のことを夢に見る

あるとき、遂にたまりかねて
自分の妻となった未亡人に
慟哭しながら、そのことを告白する

未亡人は蒼白となり、
やはり激しい涙にくれる
「そんなこととは知りませんでした!
でも、もう遅すぎます。
この罪を私達から取り去るなんて
誰にだってできません!」


やがて二人は老人となる。

郷里を出てから50年が経ち、
男は、妻に乞われるまま
郷里をたずね、
かつての婚約者に会いに行く
・・・・・・・・・・

胸をしめつけられるようなこの短編は、
ドイツ文学史上の真珠ともいわれるものだが
我々、日本人がドイツといったときに
まっさきに心に浮かぶ、
ドイツ的誠実性「ドイッチュ・トラウベ」
をまさに体現化したような作品である

この作品は、もちろんフィクションであるが
事実としてほとんどこれと同様なことが
その後、ある著名な人間の人生に起きた

それはかのブラームスで
ハンブルグに生まれたシュトルム同様、
北方ドイツ人である若きブラームスは、
当時、著名だったシューマン夫妻の門を叩き、
夫妻の知遇を得る
シューマンは、ブラームスの天才を見抜き
主催する音楽雑誌などを通じて
当時の音楽界に、彼を大々的に紹介する。

ほどなくブラームスは
楽壇に知られる存在となるが
一方、師であるシューマンは
以前から病んでいた精神に
破綻をきたし、他界する

残されたその妻クララと
6人の子供達の生活のため、
ブラームスは自分の音楽活動を通して
一家への援助を行う

ハンブルグに住むブラームスの母は
息子からの手紙でその経緯を知り
女性の直感からか、
「すぐにその家族と離れて
自分の生活のことを考えなさい!」
と警告するが、受け入れられることはなかった

やがてクララとブラームスは
互いになくてはならない存在になる。

クララはその後、再婚することもなく
ブラームスも遂に、生涯
妻を娶ることはなかった

ブラームスは、母親が44歳のときの子である
彼が物心ついた頃には
すでに母親は老境に入っていた。
年老いた母のもとで育った男性は
しばしな年上の女性に深い憧憬を持つ

そういうブラームスにとって
14歳も年上のクララは、
やはり特別な存在だったと考えられるが

一方、敬愛するシューマンという師の未亡人と
結婚する等ということは、彼には到底できない。
かといって、彼女とその家族を見捨てて、
他の女性を求めることも、彼にはできない。

かくしてブラームスは、生涯、
自分の家庭を持つこともなく、
クララとその家族を支ええ続けることになる。

クララが75歳でなくなったとき、
遠征先から急遽、駆けつけてきたブラームスは、
クララの棺がいよいよ地中に埋められる時になって、
ついに耐えかねて近くの林に入り、
激しく嗚咽した。

彼女の死後、ブラームスは急激に体調を崩し、
一年もしない内に、この世を去る。
あたかも自分の勤めを終えたかのように。
ドイツ・ロマン派の、まさにロマン的な生涯だった。

先に提示したワーグナーという人は、
リストの庇護を受けて世に出た人だが、
すでに人妻となっていたリストの娘であるコジマを
強引に奪った人でもある。

そういう意味において、
生前、対立していたブラームスとは
音楽様式云々という以前に、
その人生観において、
ほとんど相容れない物を
持っていたということになる。

それはドイツ的というよりは、
さらに根源的な北欧的、
バイキング的というべきかもしれない

一方、ブラームスに代表される
運命がもたらす重荷を
潔く重荷として受け止め、
これに耐えながら、それでも決して
生命自体の雄渾さを失うことのない
ドイツ・プロテイスタンズムについて


小生は、ゲーテの「ファウスト」あたりに
その後に様々な結晶を生み出す
そのドイツ的なるものの原型を見る思いがする

****************
「トウーレの王」(「ファウスト」第1部より/ゲーテ)

昔、トゥーレに墓場まで
誠を守り通した王がいた
后はこの世を去るときに、
王に金の杯を捧げ与えた

王にとってこの杯以上のものはなく
宴会の度に 飲みほしたが
その杯を飲む度に
王の眼から涙が流れ落ちた 

その死が近づいたとき
王は国の都市を数え
世継ぎに全てを与えたが
杯だけは渡さなかった

王は諸国の騎士達を呼び
盛大な酒宴を催した
先祖代々の大広間
海のほとりのあの城だった

年老いた王はやおら席を立ち
最後の命の炎を飲み干すと
聖なる杯を遠く
暗い海へと投げ付けた

杯が波間に落ちて
海の底、深く沈んでいくのを見ると 
王の眼は閉じられ
もはや二度と飲むことはなかった


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